上宝町岩井戸では大陸の花こう岩からできた飛騨帯の古い花こう岩の上に、64万年前に大規模な火砕流噴火を起こした、福地温泉の近くにある上宝火山の火砕流堆積物が溶結凝灰岩となって厚く積もっています。
明瞭な節理を持ち、節理面から崩落した巨大なれきが地区内にいくつも転がっています。
笠ヶ岳を再興、槍ヶ岳を開山した播隆上人の修行した場所でもあり、上人の揮毫による六字名号の刻まれた碑が岩井戸に残されています。少し上流には6500万年前に活動した上宝町と丹生川町の境にある、大雨見山火山の火砕流堆積物、字書き岩や同じ活動の貫入岩である、杖石を見ることができます。
食味コンクール日本一のお米の代表的産地は、この河岸段丘の水田です。
この段丘は焼岳火山群の噴出物が大量に流出して形成されたと考えられています。段丘は複数の平面を構成し、下流の飛騨市神岡町内にも見られます。
当時、上高地の梓川は平湯川を経て高原川に合流しており、高原川の水量も今より大量に流れていました
福地温泉近くにある上宝火山による上宝火砕流堆積物の節理面から崩落してできた巨大れきが、高原川の水流に侵食研磨されてこのような形になったものです。高山市の天然記念物に指定されています。
夫婦岩の駐車場から、30分ほど山道を登ったところにこの岩屋があります。湾曲した節理面から巨大なれきが崩落したあとが岩屋になったようです。入口左の湾曲した面を杓子に見たて杓子の岩屋と呼ばれています。
播隆上人が修行を行った場所であり、六字の名号が揮毫されていたといわれています。
はじめに弘法大師が、次に室町時代江馬左馬助が、江戸時代には高山宗献寺南裔が、文字を書いたといわれています。
そして、明治40年に5年の歳月をかけて、乃木希典の揮毫「皇威輝八紘」が刻まれました。大雨見山層群の溶結凝灰岩です。
大雨見山層群の貫入岩が高原川の浸食から取り残された岩峰です。高さは60mを超えています。
弘法大師が杖を突きたてたまま忘れていったものがこの岩になったという伝説があります。ほかにも蓑石、笠石があり高原川の三奇石と呼ばれています。下流側から頂上へ登ることができ、頂上には弁天様がお祀りされています。上流側から見ると、岩相が二重になって、河床を見ると貫入岩脈は対岸へ延びているのがわかります。