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飛騨山脈のジオのおはなし

第41章 字書き岩

字書き岩

高山市上宝町岩井戸の夫婦岩から、国道471号に出て平湯方面に向かうとすぐに、道の左側に巨大な字書き岩に出会います。
弘法大師がこの岩の平らな面に字を書いたという伝説がありますが、寛政年間に高山市宗猷寺の僧(そう)南裔(なんねい)が「万古(ばんこ)不易(ふえき)」としたためてから字書き岩と呼ばれるようになったと思われています。

現在は乃木(のぎ)希(まれ)典(すけ)の書による皇(こうい)威(はっこ)輝(うにか)八紘(がやく)が刻まれています。乃木希典は、日露戦争で陸軍を指揮した軍人でした。明治の終わりに戦没者を思って刻まれました。

何かを書きたくなるような縦16m、幅7mの平面を持つ岩は次のようにしてできました。それは、約7000万年前(中生代白亜紀)に流紋岩質の火山活動が起こりました。その時に噴出した火砕流が300mもの厚さに堆積し、その重みと熱で硬く固結し、溶結凝灰岩となりました。大雨見山層群明ヶ谷層、という地層名が付いています。そして、冷えていくときに収縮が起き、縦にも横にも規則的に割れ目が入り、節理ができます。ゆっくり冷えることで収縮もゆっくりとなり、節理の間隔が大きくなります。そのため、大きな平面で囲まれた岩石の塊ができます。

字書き岩は、その平面が地面に垂直で、高札にするにはもってこいです。字書き岩の周りを見渡すと北側に大きな急崖があり、地面にほぼ垂直です。字書き岩も急崖と同じように、7000万年前からできていた垂直な平面を高原川などの自然に削り出されるのを待っていたのです。
(飛騨地学研究会 鷲見 浩)

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