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第37章 杓子(しゃくし)の岩屋

杓子(しゃくし)の岩屋

上宝町岩井戸の西側にお堂があり、その前に「播隆名号碑」があります。そこを通り過ぎて尾根を巻くように進み、さらに尾根を登ると、30分ほどで杓子の岩屋に到着です。

いくつかの岩穴が並んでいます。岩穴を宿に見立て「岩宿」と呼んだのが岩井戸の地名となったそうです。一番大きな岩穴は、入口左側の壁が大きく湾曲しており、この壁を杓子に見立てて「杓子の岩屋」と呼ばれています。 

江戸時代、念仏僧播隆(ばんりゅう)は飛騨へ入り、修行の場所を求め上宝町本郷の本覚寺住職椿宗(ちんじゅう)に勧められ、この岩屋にこもりました。修行を終えた播隆は、笠ヶ岳を再興し、さらには槍ヶ岳の開山を決意します。このような仏教的背景から「釈氏窟(しゃくしくつ)」と表記されることもあります。

この岩屋は64万年前に福地温泉の近くで起きた、上宝火山の噴火に伴う大規模火砕流が高温のまま堆積し、自らの熱で固まった(溶結した)岩盤です。冷えて収縮する過程で規則的な割れ目(節理)を生じ、割れ目からブロック状の崩落が起こり、抜け落ちたブロックの跡が岩屋になっています。

入口左の湾曲した壁には、播隆による「南無阿弥陀佛」の文字があったといわれ、岩屋の中からはお経の書かれた大量の小石が見つかっています。
岩屋の正面には本覚寺が遠望され、播隆と本覚寺椿宗の間柄も偲ばれる場所です。
(飛騨地学研究会 直井幹夫)

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