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飛騨山脈のジオのおはなし

第27章 奥飛騨温泉郷3

奥飛騨温泉郷の歴史

今から300年ほど前に書かれた「飛州志(ひしゅうし)」という地誌(風土記)があります。この書は、時の将軍徳川吉宗の命を請け、飛騨国第7代の長谷川忠崇(はせがわただたか)代官によって編纂(へんさん)されました。ここには、飛騨の温泉6ヶ所が書かれています。
その中に、平湯温泉と蒲田温泉の記述があります。両温泉とも「往古湧出由来未詳(おうこゆうしゅつゆらいみしょう)」すなわち大昔から湧いているが、その始まりはわからないとあります。
続けて、両温泉に古くから伝わる「平湯記」「蒲田記」が引用されています。このうち蒲田記の末尾には「按ずるに飛州の隠士幽嘯軒守朱子誌(ゆうしょうけんしゅしゅし)す所なり」とあります。この守朱子という人は、金森藩の儒医(じゅい)(儒学者兼医師)であった角田享庵(つのだきょうあん)の号です。この蒲田記には、角田享庵の母親の腕が痛むので高山から蒲田温泉へ湯治に出かけたことや、熱湯を吹き出している地獄という所へ出かけたりたりしたことが書かれています。また、村人から聞いたと思われる蒲田温泉の始まりを天正年間(16世紀後半)ではないかとも書かれています。
なお、蒲田記原本の末尾には、「延宝丁巳(えんきょうひのとみ)(1677年)夏五月 幽嘯軒守朱子誌 落款(なつごがつ ゆうしょうけんしゅしゅしるすらっかん)」とあり、今から340年以上も前に書かれた事がわかります。
また、平湯記についても「以上由来不詳疑らくは朱朱子(しゅしゅし)の記するものか」とあり蒲田記と同一人物によって書かれたものであろうといっています。此の温泉記にもその濫觴(らんしょう)、湯治方法や優れた効能が詳しく書かれ、驪山霊泉(りさんれいせん)や有馬神湯(ありましんとう)に匹敵する名湯であると絶賛しています。そして、大地(ジオ)からの恵み温泉を多くの人々に享受してもらいたいと結んでいます。

(飛騨地学研究会 下畑五夫)

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