氷河の形成と日本海
江戸時代、加賀藩の黒部奥山廻りの記録では、現在の三俣蓮華岳を鷲羽岳(鷲ノ羽ヶ岳)とよんでいました。現在の鷲羽岳は、隣の別の山です。
三俣蓮華岳という信州側の呼称が、飛騨、越中、信州の三国境の山として定着した理由は、明治末期、日本山岳会のパイオニア達が、信州の猟師、上条嘉門次の話を信じた結果でした。それは、「飛騨の猟師達が付近で仕留めたクマの肝臓(蓮華胆(れんげたん))をクマの胆のうと間違って食べたのを、信州側の猟師があざけった」という話です。
三俣蓮華岳は、飛騨山脈最深部にあり、標高は2841mです。双六岳から三俣蓮華岳までの東側の登山道は、並んだカール(氷河が削ったお椀状の地形)の底を歩き、夏は日本有数の高山植物のお花畑です。
最終氷期は、およそ7万年前から1万年前までの期間で、前半と後半がありました。飛騨山脈の山頂や稜線東側のカールは、後半の氷河による地形です。実は、前半の氷河の方が拡大しており、その痕跡は、カールの下流のU字谷(氷河が削った断面がU字状の谷地形)です。氷期前半の飛騨山脈最深部・三俣蓮華岳付近は、氷の上に所々山頂が出ている氷帽とよぶ氷河の光景でした。
後半に比べ前半で氷河が拡大した理由は、現在と同じく日本海に対馬暖流が入り、冬の季節風による降水量が多かったためです。暖流は雪雲を作る水蒸気をたくさん蒸発させます。
後半は、7万年前以降、徐々に大陸氷河が増えた結果、海水が減ってきました。海面が130m下がり日本海は閉じ、対馬暖流は入らなくなりました。そのため、降水量(積雪量)が減り、低温にも関わらず氷河が小規模になりました。
(飛騨地学研究会 中田裕一)