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飛騨山脈のジオのおはなし

第7章 乗鞍岳1

乗鞍岳~飛騨人の心のよりどころ~

コラム7章画像乗鞍岳は,飛騨地方からその優美で雄大な山容を望むことが出来ます。まさに飛騨人の心のよりどころの名峰といっても過言ではありません。大阪の南画家、淵上旭江(ふちがみきょっこう)による「山水奇観」(寛政12年)には,「飛騨乗鞍岳」と題し乗鞍岳が描かれています。当時から乗鞍岳は飛騨の山として飛騨人のみならず世の文人にも親しまれていたようです。

また,第7代飛騨国代官の長谷川忠崇が時の将軍徳川吉宗の命で編纂した「飛州志」には,1700年代中頃の乗鞍岳の様子が次のように書かれています。「乗鞍禅定といって山腹の遥拝所に参拝する。日照りの時は,大丹生池まで登って雨乞いをする」「山腹より上の方に広原があり(桔梗ヶ原あるいは畳平?) 直径1間ほどの穴がふたつある。このあたりは臭気が激しく目に入って痛い。信州の浅間山に似て焼け石のようなものが混じっている,云々。」とあります。当時の乗鞍岳は火山ガスが盛んに出ていたようです。

現在噴気活動はありませんが,神津俶祐(こうづしゃくすけ)(1911)の「乗鞍火山地質報告書」には,信州側の湯川上流部(桔梗ヶ原の麓) に硫気孔ありとの記述があります。乗鞍岳は,約90万年前から断続的に活動を始め,9000年前頃に溶岩流を出した後は,小規模な水蒸気爆発(最新は約500年前) や飛州志(約250年前) にあるような噴気活動のみの活動でした。現在,気象庁のランクでは,最も活動度の低いC級の活火山となっています。

テキスト ボックス(飛騨地学研究会 下畑五夫)

 
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