食味コンクール日本一のお米の代表的産地は、この河岸段丘の水田です。
この段丘は焼岳火山群の噴出物が大量に流出して形成されたと考えられています。段丘は複数の平面を構成し、下流の飛騨市神岡町内にも見られます。
当時、上高地の梓川は平湯川を経て高原川に合流しており、高原川の水量も今より大量に流れていました。
上宝支所の裏側にある「上宝ふるさと歴史館」には、この地域に縁の深い偉人や人々の暮らしが4つのテーマで展示がされています。本郷村善九郎の資料や福地で発掘されたサンゴやウミユリの化石も展示されています。笠ヶ岳の山岳信仰のコーナーには、播隆上人が笠ヶ岳に安置したとされる仏像が展示されています。この仏像は64万年前に福地温泉付近で噴火した上宝火山の火砕流堆積物で造られています。
約6500万年前に活動した大雨見山火山の溶岩が節理と風化によって奇岩の群れを作り出しています。
最も特徴的なのが、仏像のようになった石仏です。石仏、仏器岩、屏風岩、駒掛岩、鏡岩、箪笥岩が並んでいます。岩の表面には玉髄が散らばっています。これは球顆流紋岩です。
石浦地区公民館の前からは穂高連峰を眺めることができます。特にジャンダルムの全体の姿を見ることができる数少ない場所です。アルピニストの憧れのジャンダルムは、縦方向に延びる多くのクラックが特徴です。地球活動の凄さを感じます。
正式には「大坂峠」ですが、地元の人は「十三墓峠」と呼んでいます。
この十三墓峠の名前の由来は、戦国時代、飛騨地方の北部で江馬氏(神岡城)、南部で三木氏(松倉城)が大きな勢力を誇っていましたが、1582年10月に国府町八日町で荒城川を挟んで激しい戦いがありました。その結果、江馬氏が敗北し、城主の江馬輝盛の後を追って亡くなった重臣13名を、この地域の人々が13の墓を作ってその魂を慰めたことから、十三墓峠と呼ばれるようになりました。
ジュラ紀(1億9000万年前)の花崗岩と荒城川層(大陸棚のようなところで堆積した堆積物)の境にできた滝です。この滝には、ここに住んでいたガオロ(カッパのこと)が、ある日頭をぶつけて頭の皿が割れて気絶したのを村人が助け、その恩返しに毎日イワナを届けて恩返しする。ガオロ伝説の残る滝です。
天ヶ岩の祠と天ヶ岩屋の祠は、地元で整備した峰越林道トレッキングロードから行けます。
これらの岩盤や岩屋は、飛騨北部に広く分布する花崗岩です。いわれによると祠は、蔵柱の夫婦がそれぞれ見た夢のお告げにより、明治19年7月18日に、静岡県「方広寺」から分社されました。養蚕や山の守護神とされています