奥飛騨温泉郷は平湯、新平湯、福地、栃尾、新穂高の5つの温泉地から構成されています。自然湧出量は国内第三位といわれ、毎分約37トンのお湯が湧出しています。その歴史は古く、福地温泉には村上天皇が湯治に来られたという伝承があります。
泉質は比較的単純なものが多く、地下に浸透した降水が地下深くに届く前に加熱され湧出しているようです。
蒲田川沿いは両側が1000mを超える急崖です。
加えて奥飛騨の温泉熱源ともいうべき焼岳の火砕流堆積物があり、土砂流出の多い地域でした。現在、流域には多数の砂防施設が整備され、今も継続して砂防工事が進められています。たから流路工は、蒲田川と平湯川の合流部に設けられた砂防施設です。上流側の道観松砂防えん堤からおよそ2㎞続く流路工で、現地の自然石利用、魚道の確保、瀬と淵の計画配置など、自然河川の機能にも配慮した構造となっています。親水公園、露天風呂、遊歩道も整備され、訪れる人の憩いの場所ともなっています。
村上神社には播隆塔があります。この塔には播隆上人が笠ヶ岳の再興をした際に頂上に安置した仏像が保存されています。播隆上人は笠ヶ岳だけでなく、槍ヶ岳の開山にも尽力しました。毎年5月10日には播隆祭(飛騨山脈の飛騨側開山式)がこの村上神社で行われています。
ここから見えるのは焼岳です。
現在も活動を続ける活火山です。2万年前に活動を始め、大正4年の水蒸気爆発によって流れた土石流が梓川をせき止めて上高地の大正池を形成しました。
「チチコ」とはカジカのことで、出産した女性がこの魚を食べるとよく母乳が出たことから、地元ではチチコと呼ばれるようになりました。昔はこの地域でよく見かけましたが、現在は数が減っているため、またチチコがたくさん住む川になって欲しいという住民の願いから「ちちこ橋」と名付けられました。
洞谷は昭和54年8月22日午前7時50分頃最上流部が崩壊し、土石流が発生しました。砂防えん堤は瞬時に崩壊し、当時、洞谷の直下にあった栃尾中学校では体育館が大破し、おびただしい量の土石流がたまりました。
現在は、被害の再発を防ぐため流路工が設置されており写真のように桜の木も植えられ、春には桜、冬にはライトアップと、四季折々の景色が楽しめます。
足湯のある公園は「火山のめぐみ広場」と呼ばれていますが、その名のとおり、この地域は露天風呂の数全国№1といわれるほど湯量の豊富な温泉が湧出しています。これは焼岳などの巨大なボイラーのおかげです。
また、足湯の対岸に見えるのが「柏当層」と呼ばれる地層です。この地層は飛騨外縁帯という地質帯の一部で、大陸棚や浅い海で堆積した堆積物が何億年という長い時間の中でできあがったものです。その由来は詳しくは分かっていません。
道道観松砂防えん提の名前は、昔、道寒和尚が鎌倉街を通過する旅人の安全を祈って松を植えたことに由来しているといわれています。
また、この道観松砂防えん提からは西穂高岳とアルピニストの憧れのジャンダルムが望めます。その下には、山が削られたような跡が見えます。これは、明治22年7月の豪雨によって大崩壊した場所です。流出した土砂により蒲田川が閉塞され、その後決壊して下流に大洪水を起こしたと伝えられます。現在も植生が復活していません。